この記事からわかること
- 小説「箱男」の概要
- 「箱男」の解釈
「箱男」は、安部公房作、昭和48年出版の実験的小説です。
安部公房は様々な実験的小説を書いています。
「箱男」の設定もまた、異様であることで有名です。
すっぽりと体が収まる大きさの段ボールを着て、都市を徘徊している人間、それが「箱男」です。
段ボールには覗き窓が据え付けられており、そこから世界を眺めることができます。
また、ややこしいことに、箱男は数人登場し、偽箱男という人物も現れます。
この小説で、阿部公房は何を表現したかったのでしょうか。
私(@okamotobiblio)は箱男の世界はインターネット世界であると考えました。
この記事では、なぜ箱男がネット世界を表現していると私が解釈したか、解説します。
ちなみに「箱男」は私が主催している読書会、第17回 岡本ビブリオバトル「着」 でチャンプ本を獲得しています。
【箱男 安部公房 新潮文庫」
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参考【2018-2020年】岡本ビブリオバトルで紹介された本
目次
小説「箱男」は何が難しいのか
「箱男」は難解な小説であることで知られています。
私自身、何回か読むことを挑戦していましたが、途中で挫折していました。
なぜ箱男は難しく感じてしまうのでしょうか。
箱男の設定は異様
箱男が難解であると感じる一つ目の理由は、設定が異様であることです。
箱男は段ボールをすっぽりかぶり、街を徘徊します。
段ボールにはのぞき窓がついています。
のぞき窓から見た世界をノートに記述し、そのノートを小説の読者が読んでいるというのが「箱男」の設定です。
こんな設定の小説、他に読んだことがありません。
面白い状況なので、わくわくして読み始めることはできるのですが、体験したことがない分、共感できるところが少なく内容を難しく感じてしまうのです。
箱男はストーリーの構造が難しい
箱男はストーリー構造が複雑であるという点も、読書を難しく感じさせます。
この小説の読者は、箱男の書いたノートを読んでいるという設定です。
ややこしいことに、このノートには筆跡が異なっている=違う箱男が書いたと思われる部分がいくつかに挿入されています。
箱男が1人であれば理解しやすいのでしょうが、箱男は複数登場しているのです。
それぞれの箱男は、自分が本物であり、もう一方は偽物だと主張しますが、読者はそれを判別できません。
自分が読んでいる文章は箱男が書いたものか、偽箱男が書いたものなのか?
最後まで、その謎は明らかにできない構造となっているのです。
さらに箱男自身、ノートに書いたことはすべて真実だとしながらも、創造も含まれていると書いています。
何を信じて良いのやら、という感じですね・・・。
このように、小説の構造理解が難しい点が「箱男」が難解な原因です。
阿部公房が箱男で表現したかったことは?
なぜ阿部公房はこのような、理解が難しい小説を書いたのでしょうか。
安部公房は「箱男」では「小説の解体」に取り組み、読者に情報の編集を要求しているためです。
「小説の解体」とは論理がつながったストーリーを個別の情報に分解し、ばらばらにして記述することであると私は解釈しています。
小説家は本来、情報をきれいな流れ、ストーリーとして編集した文章を読者に提供しています。
文章の編集こそが小説家の能力、価値であるとも思いますが、阿部公房はあえてその編集作業を読者に委ねたのです。
箱男という匿名の存在
小説「箱男」のもう一つの大きなテーマが、「見る」ことと「見られる」ことの関係です。
箱男は「匿名の存在」の象徴です。
箱男は段ボールを着ることで「人に見られる」を拒み、一方でのぞき窓から世界を「見る」ことは可能です。
すなわち、箱男は特定できないが存在している、匿名の存在なのです。
この本が発表された当時、都市化が急激に進んでいました。
都市で生活する人々はお互いが誰なのかわからず、一方で「誰かに見られている」という不安感を抱いていました。
その不安感が生み出したのが箱男です。
- 自分の周りの人が何者であるか知りたい
- 自分は何者であるかは言いたくない
この欲求を具現化したのが箱男です。
現代人は箱男になりたい欲求を持っているのではないか、と小説「箱男」は投げかけています。
僕は箱男の世界はインターネット世界だと感じた
「箱男」の要点は2点です。
- 箱男は特定できないが存在している「匿名の存在」として描かれている
- 読者自身に箱男の記述を編集することが要求されている
私はこの2点から、箱男の世界はインターネット世界であると解釈しました。
- インターネットの箱をかぶることで人は「見られる」ことから解放される一方で、検索窓から様々な情報を「見る」ことができる
- 箱男というアカウントから発せられた情報は断片的で偽情報も多い
- 読者自身が情報を構成し直し、解釈することが要求される社会となっている
インターネット社会は、箱男の世界と非常に似ていることがわかります。
「箱男」発表当時、現代のインターネット社会を想像することはできなかったでしょう。
しかし、匿名でありたいという人間の欲求は大昔から持っているものであり、技術がその欲求を実現することを可能にしたのです。
箱男の内容はTwitterのタイムラインに非常に似ています。
Twitterのタイムラインでは多くの匿名アカウント=箱男が、それぞれの立場でなんとなく共通の話題をつぶやいています。
一方、それとは全く異なるネタツイート=寓話なども流れてきます。
Twitterのタイムラインを読む人は、それらの情報を編集して読み、楽しむということを自然としているのではないでしょうか。
まとめ
「見たいけど、見られたくない」という人間の欲求を小説の力で具現化したのが箱男であり、技術の力で具現化したのがインターネットです。
人間の持っている欲求を見抜き、将来到来する社会を見事に表現した先見性こそ、阿部公房の偉大さなのだと私は思います。
ぜひ箱男の異様な設定を皆さんも楽しんでください。